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ティザーヌ洋菓子教室のブログ
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シェフの日常の出来事や、お菓子について書き綴るブログです。
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バレンタイン

2012/01/25 20:11

1月も終わりですね〜2月は逃げる。3月は去る・・・
この調子で行くと今年もあっという間に終わりますね。
あわただしく過ぎ去っていく理由はバレンタインの準備。
このイベントが終わるまでは気が抜けません。
この間もパルミエで、チェリーボンボンを500個、
スーシェフと一緒に作りました。

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キルシュにつけたチェリーにフォンダンをつけます。
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綺麗についています。
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底の補強をしながらチョコに半分ほど浸します。
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枝の付け根にチョコを絞り枝が取れないように補強します。
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枝を持ってチョコに浸せば完成です。
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食べごろは1週間先です。
来週はボンボンショコラの製造です。
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本年もどうぞ宜しくお願い致します!

2012/01/11 16:34
 皆さん、こんにちは!
新たな1年がスタートしました。
今年1年はどんな年になるのか全く想像が出来ない中で、
ケーキ作りが出来る喜びを胸に出来る限り頑張りたいと思っております。
(ちょっと大袈裟?)
年末の忙しさから開放され、飲んで食べて寝てというお正月でした。
おかげで体重が・・・ダイエットしなければ!
やはり気の緩みか3日ほど風邪で苦しんでおりましたがすっかり回復しました。
寒さもこれからが本番なので皆さんも風邪やインフルエンザにはお気をつけください。

年末に作りました焼き菓子セットなんですが、
何人もの方から「美味しかった」というお声を頂きまして
今回が一番反響が大きかったですね。
このバター不足の折にすべての商品に明治の発酵バターを使い(一部四つ葉の発酵)
原価率の高いもの手間のかかるものをあえて選びました。
それでも完成度は80%くらいで(まあ、3日間しかないので)
もうすこし時間があればな〜と思ってしまいます。

そんなこんなで始まった2012年
今年も納得出来るお菓子作りに情熱を傾けて頑張ります。












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一年間有難うございました

2011/12/31 20:39
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お歳暮、クリスマス、お正月用焼き菓子と
忙しくあわただしい、しかし充実した一ヶ月でした。
終わった開放感と一年間無事に過ごせた安堵感、
一年の終わりの寂しさがの入り混じった感情ですね。
休日も空いた時間もなく働きづめの一ヶ月でしたが
まあ、ここで気を抜くと体調も崩れてしまうので
お正月も普段のリズムで過ごしたいと思います。
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今年のブログは今回で最後です。
今年も1年このきまぐれなブログを見ていただきありがとうございました。
このブロももう12年目に入っていますが、
ケーキのネタが主なので同じような内容も多いですね。
来年も週一の更新で継続できればいいですね。

あと数時間で今年も終わりです。
もうすぐ平成24年ですがどのような年になるでしょうか。
少なくとも平成23年は私にとっても最も悪い意味で記憶に残る年になりそうですがどうか
好転して欲しいと心から願っております。

ケーキがあってお友達や仲間と一緒に
いい時間を過ごせる機会を共有できたら幸せですね。

では、また来年元気でお会いいたしましょう。

一年間有難うございました。

よいお年を!感謝。





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明日から12月

2011/11/30 17:57
久しぶりの更新になります。
別にサボってたわけじゃありません。
忙しかったのですよ。
書きたいことはいろいろあって、
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たとえば、ボジョレーの話とかシュエットさんに行ってシュエットロールを
作ったとか。
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読んでた本のラストシーンで号泣したとか・・・
話のネタが古くなるとどうもね〜、もうどうでもよくなる(笑)

明日から12月ですよ。(せわしないですね)
11月の終わりから来年のメニューを考えていました。
更新したのでまたチェックしてください。
それとクリスマスケーキの販売ですけど、
定番商品以外新メニューとしてショコラのアントルメを。
今自分が一番美味しいと思えるものを作りました。
そして、ベラベッカの登場です。
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構想10年?ずっと販売の機会をうかがっていました。
<洋ナシのパン>という意味です。
アルザス地方のクリスマスケーキでドライの洋ナシ、アプリコット、プルーン、
イチジク・・・クルミやアーモンド、ピスターシュなどを
アルザス産のキルシュ、シナモン、クローブ、黒胡椒、アニスシードなどで
漬け込んでいます。少量のパン生地でつなぎ発酵、焼成。
なまこ形をしたこのクリスマスケーキは日持ちがするので
薄くスライスして熟成を楽しみながら食べると美味しいですね。
あんがい柔らかく、その豊かな芳香がたまりません。
ドライフルーツはすべて取り寄せで、出来る限りフランス産を。
黒胡椒一粒にもにもこだわりたかったですが時間切れでした。
来年以降の課題ですね。下準備だけでも途方もない時間がかかります。
というわけで20本だけの限定なので興味のある方は早めにどうぞ。
(簡様包装です。レッスンも不可です)(笑)




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瑞宝章

2011/11/09 15:38
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告知もしないのに今年もたくさんの注文有難うございました。
10月の限定商品のシャテーニュ。もう15年も作り続けている。
20K近くの栗を剥き続け(モンブランも合わせると30K以上)
もう栗を見るのも嫌になりました(笑)
また、来年お願いいたしま〜す。

ティザーヌ唯一の男子生徒、I君が東京のジャンポールエヴァンに
入社することになった。
「ごみ出しから始めますから雇ってください。」と猛アピール。
元高校球児、その根性があればどこでもやっていけるよ。
応援してるから頑張って!。

秋の叙勲で義父が「瑞宝章」を頂きました。
長年、民生委員・児童委員を務めたことが評価されました。
公共的な業務に長年にわたり従事して功労を積み重ねることは、
大変なことでありちょっとやそっとでは出来ることではないでしょう。
尊敬に値するし長年ご苦労様ですといいたいですね。
恥ずかしくてなかなか言えませんが・・・

母親が27年間勤めた会社を10月いっぱいで退職した。
最後はスタッフ全員にお見送りされたことにかなり感激していた。
若い頃から結局、60年近く働いたことになる。
両親からはコツコツ働くことの大切さを改めて学んだ。
これで両親は完全な年金生活になった。
これはこれで感慨深いものがある。
一昔前なら定年退職した親を養わなければならない年齢に私もなってしまった。
甲斐性がなくてなかなか実現できませんが・・・

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お菓子とパンのアトリエ シュエット

2011/11/02 20:39
早、11月です。
クリスマスツリーを見かけると焦りますね・・・
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宝塚のHさんが、お菓子とパンのアトリエ シュエットを
11月1日にオープンしました。
営業日は火・水・木の三日間です。
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自宅を改装して業務用のオーブンやらミキサーも導入して
本格的なアトリエに変身。
営業日以外はパン教室を行ってるようです。
ある意味、皆さんの理想系じゃないかと思います。
「極めたいんです!」の一言に心を動かされ
当分の間、お手伝いに行く事になりました。
お近くの方はぜひお立ち寄りください。
少し落ち着いてからのほうがいいと思います。
興味のある方はシェフまで住所、電話等お問い合わせください。
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食欲の秋

2011/10/19 20:50
時間があればウォーキングへ行っています。
調子のいいときはランニングもします。
しかし、全く痩せません・・・
だって秋だし食べ物が美味しすぎる〜。

紅玉りんごをご紹介していただきました。
紅玉なんて酸っぱいだけのリンゴかと思ってた。
パルミエで普通の紅玉りんごでアップルパイを作ったら
あるスタッフに「リンゴに旨みがない」と見抜かれてしまった。
全くその通り。ケーキには紅玉なんて迷信に過ぎない。
旨みのあるフジリンゴにレモン汁を加えて作ったほうがよっぽど美味しい。
ご紹介いただいた紅玉リンゴは、旨みがあって酸味とのバランスがとてもいいと感じた。
フランスのトロワグロで使っていたカナダ産のレネット(青リンゴ)とよく似た味だった。
素朴なタルトポンムでも作ってみるか。

毎年、ある方から丹波栗を頂く。
教室で使っている愛媛産の栗も質がよくて気に入っている。
しかし、丹波栗の質と旨みにはいつも驚かせられる。
まあ、品種も違うし一概には比べられないけど、
加工してケーキに使うより、栗ご飯にして食べるのが一番。
美味しくいただきました。

南京街の「鶴のひとこえ」さんへ行ってきました。
(久しぶりにいいお店に出会えました。)
南京街の路地裏にあるひっそりとした和食屋さん。
一歩お店に足を踏み入れると、
たくさんのお客さんでにぎわうとても活気のあるお店。
メニューが豊富でしばし最初から最後まで見入ってしまう。
仕入れと仕込みが大変だな〜とメニューを見ながら勝手に想像してしまった。
素材の取り合わせが面白い上にどのお料理も美味しく「記憶に残る味」でした。
その場では美味しいと感じてもすぐに「何食べたっけ?」と記憶に残らないお店が多い中で
「鶴のひとこえ」さんは秀逸ですね。
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温野菜の豆乳ソース
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うん、ネバネバが素敵。
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やわらかすぎて箸でつかめん。生姜がうまい!
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外へ出ると土砂降りの雨。
元町商店街を歩きながら食べた料理についてあれやこれやと語るのは楽しい。
久しぶりにいい時間を過ごすことができた。






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七坊さんへ

2011/10/12 16:27
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久しぶりに七坊さんへお邪魔しました。
お客さんもひっきりなしに来店されて、
繁盛店になりましたね。
(美味しいから当然ですが)
メニューも増えて選ぶ楽しさもアップ。
私の大好物の「鴨漬け汁そば」もメニューに加わって嬉しい限り。
関東の蕎麦屋では当たり前のメニューも関西では珍しいかな?
堪能しました。ハイ、美味しいです。
食べてる途中でも無意識に「美味しい〜」が口をついてでる。
かけそばの美しいダシも最後の一滴まで飲み干した。
蕎麦掻の揚げ出し豆腐も美味しかった〜。
早く行かないとお蕎麦が売り切れますよ。
今度は蕎麦掻のぜんざいを食べよ〜っと。
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ウォーキング

2011/10/05 20:38
先週の週末から一気に季節が進みました。
このまま冬になるなんてことはないでしょうけどね。
2年ぶりに体重計に乗ると、ベスト体重より6k増。
まあ、わかってたから計らなかったんですけど・・・
というわけでウォーキング始めました。
このお腹を何とかしないと。絶対痩せてやる〜〜。
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おいしいパート ド フリュイってないですよね。
どこかありますか?
新しく種類が増えました。
パッション、メロン、洋梨、白桃、イチゴです。
全部で10種類になりました。
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ロールケーキを購入後にカットして欲しいといわれるお客様が増えました。
大体6カット、今日はさらに縦に半分。
ケーキが売れないはずだわ(笑)
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南の島のベーカリーカフェ

2011/09/27 20:16
伊良部島でご主人がダイバーショップ、奥様がベーカリーカフェを営んでいる方の
ブログを毎日のように拝見していたのでぜひとも尋ねてみたかった。
伊良部島へ行ったもう一つの目的でもある。
本格的なパンじゃなくて家庭で安心して食べられるパンを作っている。
イメージどおりの方で気さくにお話していただいた。
がらにもなくちょっと緊張してあまりお話が出来なかったが・・・
来年はご主人のお店を利用したいと思っている。
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もう一軒美味しいと思える宮古そば。
宮古島がそうなのか??必ずS&Bのカレー粉が置いてある。
にんにく風味のダシにカレー粉を入れると俄然美味しくなる。
食後すぐにサービスで黒糖のアイスキャンディーが手渡されるが、
これは要らないかな(笑)
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名もない街角の中華屋さんに入ってみた。
安い!ボリューム満点!しかし大味。
これに尽きるかな宮古島の食堂は。
しかし、ちゃんと調べて居酒屋なんかで食べると、どれもこれも美味しい。
宮古島で食事をするなら居酒屋に限る。
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フェリーから見た宮古島。
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何度見ても癒される。
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さよなら夏の日。
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飛行機から見えたハート型の宝島。
これが見られると幸福が訪れるそうな。
来年も戻ってこられますように。
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伊良部島&下地島へ

2011/09/14 16:03
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宮古島平良港から高速船で10分ほど。
それに乗り遅れ、次のフェリーに乗船。約25分ほど。
高速船と普通のフェリーの料金が同じなのが合点がいかない。
いい加減なんだから(笑)
伊良部島と下地島は、川を挟んで寄り添うふたつの島。
観光客は少ないし、車で走ってみるとローカルな雰囲気が漂う。
2012年には宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が完成予定。
便利になる分、観光化が進んじゃうのかな?

中の島ビーチ。
遊泳禁止なので自己責任で潜ってみる。
地元の人が2〜3組。
みなさん1時間ほどでいなくなるので
すぐにプライベートビーチになる。
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天然の水族館といわれるほど、生きた珊瑚と熱帯魚などの種類が豊富。
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近くにある下地空港はパイロットの飛行訓練所。
タッチアンドゴーを繰り返す飛行機がひっきりなしに
このビーチの真上を通過する。
石でも投げれば当たるんじゃないかと思うほどすれすれだ。
鮮やかなブルーの海と空をバックに飛行するジェット機を何度も何度も
見上げた。緩やかな時間が心に焼き付いている。
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美しい白砂ビーチの「渡口の浜」にある海の家、
「伊勢観光サービス」の宮古そば。
小皿に盛りつけられて一緒にやってくる薬味をいれると
(島ニンニクと島唐辛子をペースト状にしたニンニク辛し)
宮古ソバの味を格段に引き上げてくれる。
暑い伊良部島で辛いソバを汗を掻きながら食べるのが最高に美味しい。
沖縄、石垣島、宮古島といろいろ食べたが、
自分の中ではベスト3にはいる味。
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夕日の絶景ポイント「佐和田の浜」
日が落ちると手を伸ばせば届きそうな星空に変わる
一生心に残る伊良部島の風景。









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今年は優勝やで〜

2011/09/08 21:57
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今年初めての甲子園球場。
暑くもなく寒くもない、最高のナイター日和だった。
試合内容は、新井が四番に戻りヒットを放つも
この日のゲームは鳥谷の活躍で先勝。
今日も勝ったようでカープ戦3連勝だ。
明日からのヤクルト戦に弾みがついた。
(一気に肉薄したいな)

星野監督時代から確かに強くなって優勝もしたけど、
何かしっくりこない。
エースと四番、そしてキャチャーは自前で育てないと・・・
金本、新井もいいけど田淵、掛布時代を知ってる私としては大いに不満だ。
現状、四番候補もいないから寂しい限り。
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そんな思いをカーネルさんにお願いしてきました。
たのんまっせー、今年こそ優勝や〜
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南西楽園

2011/08/31 20:30
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去年に引き続き今年も宮古島に行ってきました。
気に入った場所には最低3回は行かないと本当のよさは分からないし、
何も語れない。去年、行けなかった場所や気に入ったビーチでのんびり過ごす。
美しい珊瑚と海岸風景は、本当に癒されるし、決して飽きることがない。
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初日からラッキーなことがあった。
旅費を削減?(どうせ日中は海にいるし)コンドミニアムの朝食なしの
素泊まりプランにしていた。フロントでチェックインしていると、
「無料のキャンペーン中で系列ホテルにグレードアップできます。」とのこと。
結局、去年と同じホテルに安い料金で、しかも新館にステイできることになった。
全室オーシャンビューでサンライズも綺麗だったな〜。
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テラス席のあるスパイシーなカレーが人気のカフェ。
千原ジュニアが絶賛してから人気店に。
確かにスパイス使いが絶妙で後を引くおいしさ。
南風がそよぐテラス席で食べれば、何でも美味しく感じちゃうよ(笑)
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東洋一といわれる前浜ビーチから見た来間大橋とサンセット。
これぞ南国のビーチといった感じで、白い砂浜がどこまでも続く。
ブルーの海がオレンジに色に変わるサンセットは感動的な美しさ。
海のささやきが感傷的な気分にさせる。
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夢来人に行ってみる。
去年より敷地も広がり、ヤギや牛がいた。
新たに売店も併設されている。
そんな中、農作業をするビーチボーイズのハットリ君を発見。
気さくに握手や写真に応じてくれる。
「いつもブログを読んでいますよ。頑張ってくださいね。」と言うと
照れくさそうに笑顔を見せてくれた。
まさにその日の夜、紳助社長の引退のニュースが・・・
さてさて、この夢来人の民宿はどうなるのか?
ハットリ君のブログも休止状態・・・
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もともとコンドミニアムの素泊まりプランだったので朝食がない。
(バイキング形式の朝食なんていらないしね)
パンでも買ってビーチに行くつもりだった。
宮古島のパン屋を探してみる。
普通に美味しいパン屋からメッチャ美味しいパン屋まで4〜5軒あった。
その美味しい代表格のパン屋がここ。
天然酵母で特徴のあるパン生地。ペンションが週末だけ営業している。

今回大活躍したのがipad。
パン屋、カフェ、居酒屋等、瞬時に検索できるので本当に便利だ。
ガイドブックに載っていない場所やお店を探せるので重宝する。
旅行にはipad、手放せないですね。
             伊良部島につづく・・・



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明日から夏休みです

2011/08/21 22:54
明日から(22日)から金曜日(26日)までティザーヌはお休みになります。
メールのお返事が遅れてしまいます。ご了承ください。
電話も繋がりません(多分・・・)
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
では、リフレッシュしてきます。
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ケーキの歴史を振り返る。パート7 (東京カド編)

2011/08/17 21:54
1983年10月。
念願だった東京での生活が始まる。
1年半という経験はあったが、もう一度基本からやり直す気持ちで
北区西ヶ原にある「東京カド」に入社した。

社長の高田 壮一郎さんは東京農大卒。
1956年に渡仏。戦後、日本人としての初のフランス修行。
パリで200年以上の歴史を誇ったの老舗「CADOT(カド)」で修行。
1960年に東京駒込に「東京カド」を創業。
それまでにもフランス菓子はあったようですが、
体系的に作ったのは東京カドが最初だったようです。
菓子は本場パリの味そのままで、パリ祭にはフランス大使館に進呈するほど。
パリの味を最も忠実に受け継いだフランス菓子店。
マドレーヌやガレット デ ロワを日本で最初に作りました。
ルコントがオープンするまでは日本でトップのパティスリーだった。
去年、創業50周年を迎えました。

本店の喫茶室には、川端康成の推薦状が額に入れられ
飾ってありました。

<川端康成の推薦状>

高田壮一郎君は小さいころからのなじみだが、洋菓子屋になると聞いた時、私は楽しみに思った。そして、パリ帰りの見本の菓子を食べさせてもらった時、その味はひと美しさとは心底から私をよろこばせた。(中略)壮一郎君の初一念の貫きを尊ふばかりでなく、壮一郎君に私のかけた期待もみごとに酬ひられ、洋菓子のほんとうを同好の人々に知ってもらへるのは、私の自慢でもある。

お店のパンフレットにも違う推薦文が書かれてありましたね。
伝統あるお店で3年半お世話になり、楽しくて貴重な時間を過ごさせていただきました。

当時の東京カドは、同世代の先輩後輩15〜6人の大所帯だった。
その一番下っ端で働き始める。
(一つ上の先輩に「世界一受けたい授業」の講師、中川 二郎氏がいた)
一日の始まりは、朝飯作りから。
ご飯を炊いてお味噌汁と卵焼きを作る程度だが、
7時から就業なので6時半には準備を始めないと間に合わない。
それが終わると支店への配達。(1便)
2店舗を回って8時には仕事に合流する。
昼休憩が終わった後、支店への配達(2便)
売れ行きによっては3便まで配達があった。
地方出身者が多かったので、みんな道を覚えるのも一苦労。
忘れもしない1983年10月。レーガン大統領初来日。
都内は厳戒態勢、ヘリコプターが飛び交い騒然としていた。
銀座の資生堂パーラーに配達があり、道順さえうる覚えなのに
何度も迂回させられて、私は誰?ここはどこ?状態。
1時間半で往復できる距離が6時間もかかってしまった。
翌年、九州出身の後輩が往復8時間という記録を作って
私の記録は抹消されました(ただの方向音痴野郎でした)
また配達途中に雪が降り出してタイヤにチェーンを装着する羽目に。
上手く巻けずに外れたり、車軸に巻きついたりと散々な目にあった。
ラジオからは安全地帯の「ワインレッドの心」
今でもこの曲を聴くと真っ白に降り積もった雪の本郷通り、
凍える手でチェーンを巻く自分の姿が思い出される。(悲しい思い出)
朝飯作りなんて当時でも珍しかったと思う。
(オーボンビュータンは今でもそうらしいが・・・)
お米を洗わない、ダシを取らないで味噌汁をつくる。
塩漬けのワカメを洗わないで味噌汁に入れるなどなど、
まあ、いろんな後輩がいましたね。
こっぴどく怒られていましたが(笑)
朝と昼に先輩方にコーヒーを入れるのですが、
(もちろんインスタント)
ある時、スーシェフにコーヒーを持っていったところ
一口飲んで床にジャーッと流されてしまった。
たかがインスタントコーヒー、でもみんな好みが違うし、
ちゃんと味見をして人に出すということに気がついた。
朝飯でもそうですね。
こういうことがちゃんとできる人はやっぱり仕事も出来ますね。

私は社長面接なしで東京カドに入社しました。
「私のいない、どさくさにまぎれてもぐりこんだ男。」と高田社長によく言われました。
というのも、高田社長は洋菓子協会の仕事が忙しく、
当時はお店にほとんど居られませんでした。
この年、フランスからミッシェル・フサール氏が全国講習会のために来日。
フランス語が堪能な高田社長も帯同していました。
1970年台後期からフランスの有名パティシエが毎年来日。
クロード ポンテ氏、ジャンミエ氏、ミッシェルフサール氏と
高田社長は現代フランス菓子大講習会の実行委員・解説者として全会場を回りました。
現在まで続くMOFパティシエ製菓講習会の先駆けとなりました
大きく日本の洋菓子界が変わっていく一つの要因になったのは確実ですね。

クロード・ボンテ氏。
ピエール エルメ以前のFAUCHONのシェフパティシエ。
当時は世界最高峰の技術者といわれました。
1974年、社団法人日本洋菓子協会連合会の招きにより初来日。
1980年代半ばにかけて現代フランス菓子大講習会の講師として日本各地で技術指導を行ないます。
ドイツが菓子が主流だった日本でフランス菓子を広めた第一人者。

ミッシェル・フサール氏。
ホテル ニッコー ド パリのシェフ パティシエ。(当時)
総料理長にはかの有名なジョエル ロブション氏(当時)
さらにミッシェルフサール氏の下にはジャン ポール エヴァンが・・・まさに黄金時代。

ジャン・ミエ氏。
当時「パティスリー・ミエ」を経営し、フランス製菓最高技術者協会会長、
またフランス製菓連合会会長の要職も務めていました。
MOF授賞をはじめ、数々の輝かしい経歴を持つ。
この方に影響を受けた日本人は数知れず・・・

私のキャリアの中で「東京カド勤務。高田 壮一郎氏に師事」の経歴は一番誇れるものです。
               つづく・・・

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ケーキの歴史を振り返る。パート6 (福岡16区の衝撃)

2011/08/10 20:11
昭和57年。
いい年にケーキ屋になったと思う。
70年代にヨーロッパで修行された先輩方が
街場でオーナーシェフになり、街場でシェフになった。
(料理界も同じ)
洋菓子業界が大きく変わろうとしていた時期にあたる。
この年、フィナンシェ(又はフリアン)という焼き菓子が盛んに作られ
今ではどこのお店にもある焼き菓子に成長する。
焦がしバターとアーモンドの風味がいっぱいのこの焼き菓子は、
「味がいい」という点と「余剰卵白の活用」という点が、
うまくかみ合いヒットに結びついたのだと思う。

同じく代官山の「ラ・ポンムベール」ガ「かぼちゃのプリン」をヒットさせた。
当時の「ラ・ポンムベール」のシェフ、横田氏と私の先輩が
フランスで一緒だったため同じレシピで作っていた。
(親会社がアパレルで(BIGI)異業種がケーキ屋の経営に参加したはしりだと思う。)
素直に美味しかったな〜。野菜がお菓子の素材になるんだと勉強になった。
この2〜3年後に「野菜を使ったケーキ」がブームになる。
野菜を使ったケーキは10年周期で取り上げられているように思う。
正直、作ったこともないし、作ろうとも思わない。
野菜は料理に使うものだし、調理して食べたほうが美味しいと思うが・・どうだろう?
一口菓子のプチフール。どこのお店にも並んでたような記憶がある。
(10個入りで1000円くらい?今は見かけませんね・・・手間かかるしね)

明治の発酵バターもすでにあった。
シート状に整形されたものをクロワッサンに使っていた。
まだまだ高価だったから使ってるお店は少なく、
通常の無塩バターの3倍はしていたと思う。
クロワッサンの整形を教わりながら、
パンや惣菜もフランスではケーキ屋の仕事だと知る。
先輩たちが話す「シャルキュトリー」がどうだとか
「ガストロノミー」がどうだとか言われてもちんぷんかんぷんだった。

翌年、先輩に連れられ福岡にある「フランス菓子16区」に視察に行った。
オープンして2〜3年の頃だと思う。
ガラス張りで「三嶋隆夫のフランス菓子」の文字が
自信ありげでモダンでお洒落なお店だった。
このお店の隆盛とダックワーズ誕生の伝説は、業界人なら誰もが知っている。
衝撃的でしたね。こんなに完成度の高いフランス菓子が福岡で作られていることが。
ショウケースに並ぶお菓子を見たときの驚きは今でも忘れない。
キッチンに案内していただき、その無駄のない動線と空間の使い方、
きびきびした職人の動きに圧倒された。
喫茶でお茶を頂きながら三嶋社長からありがたいお言葉を頂いた。
東京で働きたい気持ちがあることを伝えると、
「仕事は福岡であろうと神戸であろうと東京であろうとどこでも一緒だ。
ようは自分次第だから一生懸命頑張りなさい」と。
今ならその言葉の意味は分かるが当時は、
「???」
分かったような分からないようなお言葉だった。

結局、最初に働いた神戸のお店は1年半でやめてしまった。
フランス帰りの先輩と新しいお菓子。
仕事内容には満足していたが、ファミリー経営のお店だったので、
まあ、身内のごたごたが絶えずあって、それに嫌気がさしたのかな。
(それから5年のちにこのお店は、路線を変えて大ブレイクを果たす。
今では神戸を代表するお店になっている。)
やめるときに社長の奥さんに東京で働く旨を伝えると、
「流行いにしえにかえる。」と、またまた?マークいっぱいのことを言われた。
それからのケーキ屋人生で、この二つの言葉が随所で思い返されることになる。
   つづく・・・












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ケーキの歴史を振り返る。パート5(昭和57年4月18日の出来事)

2011/08/03 21:23
ケーキ屋になって1ヶ月ほど経った昭和57年4月18日。
職場の先輩に言われて、初めて洋菓子技術講習会に参加した。
手元に当時のテキストが残っている。
主催は兵庫県洋菓子組合技術研究部。
テーマは「初夏向きの小物ケーキ」
こういう類の資料は年末の引越しのときにすべて捨ててしまったと思っていたが、
ファイルの間に挟まっていたのを偶然見つけた。
講習会というと、その業界の指導的立場の方が、
自店の売れ筋商品や新商品などをのレシピと製法を公開し、
受講者が新しい技術や知識を得る場だと思う。
今では珍しい4人の講師の方が担当している。
その一部を紹介する。ある講師のメニュー。
テーマは自然食ぜりー。
@梅ぜりー
Aはこ茶ぜりー
Bクロロフィルぜりー
基本のぜりー液に、しそ梅漬を入れたものや
はこ茶ティーパックで煮出したもの。
グリーンマグマ?(クロロフィル)を加えたゼリー。
調理師学校を出て経験は1ヶ月。
それでもこの講師のメニューには愕然とした。
他の講師のメニューは、ヨーグルトを牛乳で割って
生クリームをあわせた「サワートルテ」という名のケーキ。
フランス帰りの先輩が2人いる職場で、
多少ナリともフランスの風を感じ始めていた頃だったので
どれも似たり寄ったりの製品にがっかりして帰ったのを覚えている。
翌朝、先輩からどうだった?と聞かれ、無言でいると
「やっぱり・・・。」と半笑で言われた。
当時の神戸のケーキ屋のレベルは残念ながらこの程度だった。
兵庫県洋菓子組合の公認技術指導員なんてこんなものか?
ちなみに、この年に流行ったぜりーはというと、
オレンジやグレープフルーツの皮を器にした
柑橘系のゼリーを毎日のように作っていた。

とは言うものの、講習会に行かせて何も学ばず、がっかりして帰ってくるなんて
当時の自分に会ったら一喝してただろう。
じゃあ、君は何が出来るんですか?見習いの小僧が生意気言うんじゃない。
ケーキの優劣なんてないし、高級材料使ってるから一流じゃない。
また高い値段で販売されてるものがいいケーキでもない。
その地域で使える最高の材料使って作ったケーキがお客様に喜ばれ、
その時間や空間を共有できることこそがこの仕事の最大の喜びだと思うよ。
講師にはそのケーキに対する思いやメッセージを発してる。
その内面を探ることや本質を知ろうとする気持ち、
何か一つでも知らないことがあれば行った価値があるんだよと。
見かけや表面だけでそのものを判断してはいけない。
「物事の本質を探ろうとす気持ちを常に持て!」と当時の自分に教えてあげたかった。

幼い頃のケーキの思い出は、クリスマスや誕生日に食べたデコレーションケーキ。
女子サッカーINAC神戸の選手も通うことで
一躍有名になった「大安亭市場」にあったKOTOBUKIのケーキ。
幼稚園の頃だから60年代の終わりから70年代初頭。
すでに我が家では生クリームのデコレーションだった。
味は全く覚えていない。

小学校5〜6年になると、国体道路沿いにあった「ベニール」のミルフィーユにはまった。
こんなに美味しいケーキが世の中にあるのかと。
母親に頼んで隔週で食べていた。
春日野道にあった「パデント」のボストンパイ。
パイ生地のクラムのなかにカスタードとイチゴがサンドしてあった。
小中高と過ごした70年代。神戸ベルのショートケーキやモロゾフのプリン。
我が家にはいつも甘いものがあった。
        つづく・・・

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ケーキの歴史を振り返る。パート4(トロワグロ、ソーモンオゼイユ編)

2011/07/27 20:25
この40年間、フランスでもっとも著名な料理は
〈ソーモン オゼイユ〉だ。という調査がある。
フランスの半分近くのレストランがこの料理を出し、
世界中の料理人が作り、後世にも残る料理になった。
トロワグロの象徴にもなっている。

当時、鮭は今日のように養殖されておらず、
天然物しかなく値段も高かった。
しかも筒切りにして身の中心まで火を通し、
パサパサの鮭を食べていた。
マキシムのシェフ アンベールが鮭をフィレにおろし調理したのが
トロワグロの記憶に強く残った。
また、バカンスでオランダに行ったとき土地の人が鮭をジューシーな
半生に料理して食べているのを見たことも、トロワグロの印象に深く残った。
このときに、鮭を薄く切って手早く両面を焼けばいいという考えが浮かんだ。
両面それぞれ10秒か15秒くらい焼く。そうすると、ふんわりと
甘味が残った鮭が焼き上がる。
ちょうどソース・ヴァン・ブラン〈白ワインソース)が火にかけてあった。
鮭は脂肪が多いので、あっさりとした味に仕上げるのは酸味が欲しい。
レモンでは平凡すぎる。その時に庭に大量発生していたオゼイユ
〈すいば、別名すかんぽ)をソースの中に加えてみた。
もう一つが生クリーム。これに一工夫した。生クリームの上層部にあつまる
トロンとした部分は、一度火にかけて沸騰させただけで、
ソース状にトロッとつながる。殺菌していないクリームの風味が加わり、
とてもおいしいソースが出来る。
そしてフライパン。最初は鉄のフライパンで油をひいて鮭を焼いていたが、
焼くたびに脂分をふき取り、また新しい油をひかなくてはならない。
そうやって焼くと、火が通り過ぎておいしい仕上がりにはならない。
そんな時に出始めたばかりのテフロン加工のフライパンで焼いてみた。
思った通り鮭の表面はカリッと、なおかつ身の中心部はフワッと半生の状態で焼きあがる。
また、油をほとんど使わずに焼くことが出来るので、脂の多い鮭をひじょうにあっさりとした
料理に仕上げることが出来た。

ある日、そうして創りあげた〈ソーモン オゼイユ〉を食べたジャーナリストが、
「すばらしい!鮭という魚はどうやって食べたらよいか、これで分かった」と絶賛し、
そのことを「ル モンド」紙に書いた。当時はフランス料理がクラシックな料理法から
脱しようとしようとしていた時代でもあったので、この料理は今までとは全く違った感覚の
ものとしてとらえられた。
鮭の養殖技術が進み、よい素材が手に入るようになったこと。
値段も昔ほど高くないこと。
そしてもちろん料理としておいしさが、世界中に広まった理由だと思う。

この〈ソーモン オゼイユ〉の逸話は、もちろん知っていた。
実際食べてみると鮭のレア感には驚かない。
〈魚を生で食べる文化のある日本人ですから)
そのソースのおいしさには唸ってしまった。
皿いっぱいに流されたソースは少し量が多いかな?と思ったけど
全く重くなく飽きない。何よりも軽くて切れがある。
(クリーム自体のおいしさと風味は日本のクリームの非ではない。)
ソースの天才、ジャン・トロワグロの時代から、ソースには並々ならぬこだわりがあると思う。
トロワグロで修行した料理人から聞いた話だと、
すべてのソースの基本、フォン・ド・ボーの作り方も全く違うらしい。
だから雑味がなく、軽くてキレのあるソースに仕上がると教えてくれた。

トロワグロのキッチンは、70年代にNASAの設計によって作られたときから
「未来のキッチン」と呼ばれている。
中庭に面しており、大きな窓からは光が燦燦と差し込んでくる。
天井は鏡張りで床はピカピカに磨き上げられ
開放的で広々としていた。もちろんオール電化。
お客さんが次々とキッチンに見学にやってくる。
ここは、調理場が舞台で、そこに働く料理人という役者を
お客さんが食べに来るということを気づかせてくれる。

フランスでの始めての研修先。
ここでの目的は、日本とフランスの素材の違いを知ること。
シェフ ピエールが言った「トロワグロのエスプリ」を少しでも感じ取ること。

当時、まだ珍しかったライムやジャスミンのスフレ。
カカオ分70%のフォンダ・ンショコラ。
ワゴンに並べられた色とりどりのアントルメ。
全く考えもつかないような味の組み合わせ。
斬新で驚くことのほうが多かった。
一方、パイ生地にリンゴのスライスを並べ、バターとグラニュー糖を振りかけて焼いたものや
空焼きしたパイ生地に枝と種を抜いたスリーズを並べただけのタルト。
「えっ、これが三ツ星のデザート」と思えるようなシンプルなものも大事に作っていた。
「伝統と革新」最後のデザートの隅々まで行き届いていたように思う。
昼夜、130人分作るのでその量の多さにびっくりした。
あまったものはすべて廃棄される〈もちろん従業員が食べます)

こんなことがあった。
シェフ ピエールが来日された折、その試食会で〈クレーム ブリュレ〉を出した。
90年代を代表するデザートでトロワグロのスペシャリティーでもあった。
背の低いココット型で焼く事、
表面のキャラメリーゼはカソナードで。
キャラメルを割ってスプーンですくったときのキャラメルとクリームのバランス。
底一面はヴァニラの粒で真っ黒であること。(コストがかかる)
商品名は〈カソナード・ア・ラ・ヴァニーユ)
一口食べたシェフ ピエールが少し早口でまくし立てた。
「パーフェクトだ。本当に良く出来ている。このルセットが知りたい」と褒めていただいた。
「えっ?」と思って、
「シェフ ピエール、このルセットはロアンヌと同じものですよ。」
「そうか、絶えずルセットは変化しているから、時々、もとのルセットが分からなくなるんだよ。」と笑った。
ハッとした。出来上がってるルセットを変化させてもいいんだ。
違う、もっと美味しくなる様に絶えず変化させないといけないんだと気づかされた。
また、フランス研修中にもこんなこともあった。
〈ミント・ショコラ〉というアントルメがあった。
フレッシュのミントを牛乳で煮出して味と香りを抽出する。
当時のシェフパティシエであったフィリップ ジブレ。
〈現在はバローナのデモンストレーターで世界中を飛び回っている。
最近、業界紙で見つけて懐かしくて嬉しくて食い入るように記事を読んだ)
おもむろにミントティーのティーバックをそこに浸し
「こうするともっと味と香りがまして美味しくなる」と言った。
当然、ルセットにはそんな記述はなかったし、前回の仕込とは違っていた。
食べるお客さんは毎日違うから美味しければそれでいい。
フィリップもどうすればもっと美味しくなるかをつねに模索していた。
現状に満足せず絶えず革新していくそういう姿勢に
ほんの少しだけ「トロワグロのエスプリ」を垣間見た気がした。

日本に帰って私は、そこにアルザス産のキルシュを加えてみた。
もっと味と香りが鮮烈になったような気がしたけど、
フィリップ、どう思う?
                 つづく・・・









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ケーキの歴史を振り返る。パート 3 〈トロワグロ編〉

2011/07/20 22:00
フランスの「メゾン トロワグロ」、東京の「トロワグロ ジャポン」。
もしここで働かなければ音楽家でありながら聴音が出来ない人間になっていたのかな。
それほどトロワグロでの仕事とピエール トロワグロ氏は私にとっては大きな存在になりました。

「メゾン トロワグロ」今年で創業81年。
3世代にわたるファミリー経営のホテル・レストラン。
1968年以来、ミシュランの三ツ星を堅持し続けている。
ピエール トロワグロ氏は1928年、小さなカフェを営んでいた、
父、ジャン・ハプティストの次男として生まれます。
父が25歳のときにロアンヌという場所に中庭の広いホテルを買って、
料理は母が作り、母方の叔母や祖父も一緒にそのホテルで働いたいました。
文字どおり、家族揃って働くホテルであり料理の評判もよく、
それなりに繁盛していました。

この父は、いろんな面で足跡を残した人でした。
たとえばボージョレワインの温度。
カーブから出したての14℃ぐらいがさわやかでおいしいと考え、
赤ワインのもかかわらず氷水に入れて、バスケットごとお客さんに出していました。
また、平らなソース用のスプーンを考え出したのも彼でした。
今では当たり前のことも、当時は常識を破ることでした。
2歳上の兄のジャンとピエールは、このホテルを遊び場として
いわば「鍋を枕に育った」のです。
トロワグロ兄弟は、父の勧めで料理人としての道を歩み始めます。
ジャンとピエールはパリの「ルキャ・キャルトン」のガストン・リシャールシェフのもと、
「エスコフィエ」を叩き込まれます。
オーギュスト・エスコフィエとは、フランス料理を体系化し「料理人の王様」といわれた人でした。
シェフのリシャールはエスコフィエ流のクラシックであり、体系化されたルールを
きっちり守る料理を作っていました。
パセリと書いてある料理にセルフィユを使うなどということは絶対に
許されないことでした。当時のレストラン、「ラ・リュ」や「マキシム」など
水準の高いレストランはみな同じような料理を作っていました。
そのなかで、いかに自分らしく作るかが問われる時代でした。
トロワグロ兄弟はここでみっちり料理の基本を学ぶことになります。
そしてここで、フランス料理の大使として有名な若き日のポール・ボキューズ゙と出会います。
ボキューズとジャンとピエールのトロワグロ兄弟はいつも三人で組んで行動するほど
仲がよかったそうです。
そしてそのボキューズの力もあってトロワグロ兄弟は憧れの「ラ・ピラミッド」で
働くことになります。ここのフェルナン・ポワンという人は、リシャールとは対照的な人でした。
「常に既成の概念をくつがえす革新的な考えを持った人だった。
常に疑問を抱き、それに柔軟に対応していく姿勢の人だった。
料理人はストーブの前にいる時間よりも
思想する時間を長く持てと、常に言っている料理人だった。」と回想しています。
そのようなポワンのもとで育った弟子には、後にミシュランの三ツ星を獲得した、
ルイ・ウーティエ、アラン・シャペル、ポール・ボキューズ、クロード・ペロー、
そして、トロワグロ兄弟などがいます。
ポワンの店を辞してパリの「マキシム」へ。
1967年、東京「マキシム」開店のために初来日を果たします。
ジャンが先にロアンヌに戻りピエールも父の店に戻り、
このときから「トロワグロ兄弟」と店名が変わります。
1956年にミシュラン一つ星、1965年二つ星、1968年念願の三ツ星を獲得します。
1974年、父が死去。そして1984年、ソース作りの天才、兄のジャンがテニスの最中に
コートで亡くなります。これは大きな痛手でした。
しかし、ピエールの次男、ミッシェルが修行から戻り、今は「トロワグロ親子」として
三ツ星を守り続けています。

初めてピエール・トロワグロ氏と会ったのは1989年でした。
私が「トロワグロ ジャポン」のシェフに就任した直後の来日でした。
年に二回行われる新宿「小田急百貨店」で展開していた
「トロワグロ ブティック」の商品チェックの時でした。
当時の三ツ星レストランの中でも、ポール ボキューズ、アラン・シャペル、トロワグロの3店は別格でした。
料理人の友達からは「トロワグロに会えるなんて凄い、凄い!」と連発されました。
その第一印象は「怖い顔してジョークを言う優しいお父さん」
しかし、そのオーラは今まで感じたことのない凄まじいものでした。
私の作ったケーキをすべて試食され、ピエールがダメといえばお店に出せません。
「良く出来てる」「パーフェクト」「問題ない」との評価がほとんどでしたが
派手な色使いや無意味な飾りつけ、その素材の本質的なおいしさを
追求するお菓子作りこそトロワグロのエスプリだと何度も言われました。
また「フランス人にとってお菓子とはパイでありタルトだ。ムースやババロワではない。
パイとタルトを中心とした商品構成を考えるように。」と次回の課題まで与えられました。
大きな失敗もなく2時間近く続いた会議も終わり安堵の表情もつかの間、
「ロアンヌにトロワグロのエスプリを学びにくるように。」と研修の許可を頂いた。
念願のフランス行き、トロワグロでの研修。
しかもパリの「メゾン ド ショコラ」にも紹介状を書くと約束していただいた。
まさに絶頂でしたね。 つづく・・・










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ケーキの歴史を振り返る。パート 2 フランス料理

2011/07/13 23:24
何の疑問も持たずにフランス菓子、フランス料理、あるいはイタリア料理、と口にする。
最近では、フレンチやイタリアン、あるいはスイーツなんて軽〜い呼び方が主流だ。
フランス料理、フランス菓子という言葉には、日本人には想像もつかない
歴史の重みがあるはずだ。一つの体系をなしたフランス料理には、
中世からのごく少数の王位貴族達が、その権力ととみにまかせた、
またすべてをやりつくした人たちの、ただその日の退屈をしのぐための
慰みでした。
フランス料理は強固なギルド制の中で、無尽蔵な時間と労働によって作り上げられました。
これはお菓子についても同じだと思います。
やがて歴史の推移とともに、私たち庶民の口元にもともされるようになりました。
労働時間や休暇、給与体系は忠実に守られ、もはやそういう意味でのフランス料理は
存在しなくなりました。いくつ物時代を経てフランス料理からフレンチの時代に。

30年前のフランス料理事情は、心斎橋?のビストロ ド パリやバンサンク、
夙川のビストロ ド ぺリゴール。
北野には北野クラブとジャンムーランがあった。
特にジャンムーランにはクロカンブッシュの配達でよく行った。
今考えれば、30年前にレストランウエディングでクロカンブッシュを注文される方が
いたなんて驚きだ。
オーナーシェフの三木さんはトロワグロで修行された方で
私の大先輩に当たる方。当時はそんなことも知る由もなかった。

それにしても鮮やかだった。
前日によく乾燥させたプチシューを焼き飴を引いて準備。
翌朝、30分ほどでクロカンブッシュを仕上げていく。
私は、下の台が動かないように抑えてる役目でした(笑)
マカロンも焼いてたしパッションやカシス、フランボワーズのピューレも使ってた。
どれもはじめて見る物ばかりだった。キウイも珍しいフルーツだった。
案外、レベルの高い職場だったな。

フランス料理は敷居の高いものでした。
薄給でしたので月に3000〜5000円を積み立てて、
ある程度たまればみんなで食べ歩きに出かけてました。
(今みたいに5000円で食べられる時代でもなかったし、
また必ずスーツ着用でした)
ホテルのレストランから町場のレストランへ。
実力のあるシェフたちがどんどん独立していきました。
その草分けがクイーンアリスであったりミクニでした。
ミクニシェフもやはりトロワグロ出身でしたので絶対行きたいレストランでした。
賛否両論ある料理でしたよ。
私は素直においしいと思ったしデセールも唯一おいしかった記憶がある。
ワイン込みで30000円ほどだった。
赤坂のニューオータニにあったトゥールジャルダンにいたっては
一人4万円だった。(2回行きました)
こういう仕事をしているからフランス料理に興味があるわけで、
高いなんて思ったこともなかったし、自分への投資だと思ってた。
これがバブル前の話でバブル絶頂時代のフランス料理には全く興味が無くなってしまった。
フランス料理の話はもう少し書きます。つづく・・・



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